蜻蛉日記
 
田園に死す
わけわかんないんだけど
釘付けだった。

一緒に観た人の弁
「これ、君が一番嫌いなタイプじゃん。」
「フェリーニだね、これ。」

そう言えば、「道」はかつて観たよな。

整合性求めちゃ駄目、
ともかく、絵。

でも、どうしようもない悲しみが底流にあって
素通りできなかった。

軽い、浅い、ノリの会話が今では生理的に気持ち悪い。
そういうことに付き合っている時間が無駄だと思う。

得体が知れなかろうが、なんだろうが、
文化の底流を行くような
知的な会話。
それしか今は受け付けない。
かなり我侭だけど、それでいいと思ってる。
沈まぬ太陽
 数年前に原作を読んだ。どうしても観ようと思い、映画を観た。
人は何のために働き、生きるのか、という問い。
自分の人生にぴったりと重ねて観た。

 「矜持」。
同じ一生なら、誇りを持って生きたいと心から思う。
たとえそれが損に見える生き方でも、
ゆずれない思いというのがある。

 3時間半がちっとも長くなかった。
泣きっぱなしだった。

 自分が人生をかけて大切にしてきたことを
本当に書きたいと思った。
でもそれはどんな形で?
・・・そこで考えあぐねている。

「青春の砦」とか、「ミスターチムニー」とか、惹かれるけれど。
自分の創造欲求のみに、正直でいたいな。雑音に煩わされず、それを突き詰めたら、それがどんな形なのか見えてくるかもしれない。
赤い木馬
唐十郎は並の人ではないと思う。多分歴史上の人物になる人なのだろうと思う。
天才。
人付き合いとか常識とか、一般的な価値観など全く必要としない。
ある種超越している。

いわゆる「せこさ」とか、計算高さなんて無縁な純粋さ。

それにしても、唐を呼んだ国大の室井先生ってすごい。そして、唐ゼミのメンバーも半端じゃない。唐先生が大学に登場する木曜の前日は毎週徹夜で稽古って!それを2000年界隈の頃きわめてたってことでしょ?・・・・ある種宗教だな、いい意味で。

確か、京華女子の伊藤弘成先生が、70年代の頃を懐かしんで、女子高で演劇部の徹夜稽古をやってると、夜中の3時に寺山修司が現れてタバコの煙をくゆらせた・・・・なんて書いてたが。思わずそれを思い出した。

唐先生はそれを、吸血鬼のように血を吸い合う関係といっているが・・・

なにはともあれ、ものづくりの根本を、その意味を考えさせられた。
売れるとか、客を増やすとか、ネットを最大限に活用して、とか、それはそれで大事なことだろうけれど、
そんなことより大切な何かがある気がした。

翻ってレベルは低いかもしれないが、
自分自身が、あくまでストイックに、作品作りと役者としての仕事にどこまでこだわれるかということだ。

そこに妥協はない。
でないとここでやる意味はない。

やはり最も大事なのは、「ほんものの知性」。
それがないと、
自分が終演を迎えた作品で役者として何を得たかも認識できず、
感謝すべき相手が誰かも自覚できず、
次の自分の課題が何かも発見できず、
女優として究極自分が目指すのは何かの模索もできない。

そういうことへの関心がないと、
下世話で
卑近で
見当違いな、
「己を知れ!」とはき捨てたくなるような勘違いにつながる。

やだやだおぞましい。
自戒もこめて!


唐十郎にはまった私
 たまたま
先週は立て続けに3本も芝居を観た。

 で、
最初に観た唐芝居「下谷万年町物語」にあまりにも衝撃を受けて、
残念なことにあとのふたつが大変色あせて見えた。

 私、変わっちゃったなあ。

 ま、もともとその傾向はあったけどね。
ますます、濃くて、深くて、ザ、アングラ・・・・路線。

 研ぎ澄まされた知的な深み、それを、ざらざら感とか言っていたけれど、
まさに今それしか求めていない自分がいる。

 お瓢に感情移入しすぎて、
泣いた。
しばらくその余韻で、おかしくなった。
いや、もともと気狂い六子だからおかしいやね。

 劇サロで何度も会った椎野さん。
化けてて
かっこよくて、
ポスト李麗仙。

 妬けました。

 あたしもぼやぼやしていられない。
バレエとタップとジムでメンテナンスしてるだけじゃおっ着かない。

 はじめなきゃ、そろそろ。

 次回作に向けて。

 皆様、乞うご期待!
得体の知れないものが好き
外山が、ある文章で、読みには3種類あると言った。
読みAは、自分がわかる世界のもの。既存のものを読んで楽しむという読み方。
読みBは、ちょっと難解だが、解釈を試みれば読み取ることができる、既存の世界とは違うもの。
そして読みCは、挑戦する読み。よくわからないけれどチャレンジし続け、すぐに物にできなくともあきらめないで読み続ける。
漢文の素読を例に挙げていたけれど。

何という深さよ。
私が今夢中になっている「唐十郎」はまさしくCだ。
何がなんだか、どう整合性をつけるのかわからない、でも惹かれる。
あの刺激は何?と思ってしまう。
そして、そうそうたる面々の文学的評価・・・私なんて中学生だった頃からの話なんだなあ。
確か21歳の頃、赤テント観にいったけど、ぜんぜんわかんなかった。ただ、李麗仙がかっこよく出てきたのは印象にある。
で、彼女の言葉、「続けた奴はいつまでも女優」だって。
ふん、目指すは彼女だな。


一番わかったのは、「六号室」
六子の世界観。こんなものがあったなんて。
ものすごくわかった。
で、思った。

下敷きがないと、何らかの接点がないと、深くは味わえないのだな、と。

それでも、こだわり続けようと思う。
もう、わからないものを単に拒否したりはしない。
それではもったいないからね。
きっと、この、自分の狂気と感電する日が来るだろうからさ。