蜻蛉日記
 
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ありのままにつきつめて。
「表現者、あるいは芸術とは、これほどまでに犠牲をはらわなければならないものなのか、とおもうほど自己犠牲がもとめられるものであり、かつ、それをも喜びとかんじうる者にのみ、できる仕事である」

なかなか素敵な演出家ですよ、とのぎさんが惚れちゃうような、・・・というコメント付きで、尊敬する芝居人からこんな素敵なメッセージが届いた。

 「それをも喜びと感じうるものにのみ」。今の私には、突き刺さるようにきつくて深い言葉である。稽古がいよいよ本格的にスタートし、日々、これが喜びになることなんてあるのか、と自問自答している。
 醜く、無様な、自分の意思とは裏腹に精神も肉体もいびつに閉じた自分。その、がっかりするような現実と、まともに向き合い格闘することの何と苦しいことか。散々それをテーマにし続けてきて、もう慣れ親しんだ屈辱なのにも関わらず、毎回、絶望のふちに立たされる。
 チビちゃんたちに混じってバレエのレッスンを受けながら、一般的な恥の概念から遠ざかっているはずだと感じていてさえもである。

 そういえば、1年前。やはり別の尊敬する芝居人から、こんなことを言われた。

「あなたは女優を続けるのなら、もみくちゃになってズタボロになる覚悟を決めておやりなさい。その覚悟がないならおやめなさい。続けたものだけが女優なんだよ。60過ぎて、70過ぎて花開くこともある。」

 出口のなかなか見つからない、真っ暗なトンネル。
 この、「うつ」のような精神状態をつきつめ、今までやらなかった努力をすることでしか、女優としての道筋はない。そして、そういう突き詰め方をしつつ、いかにずうずうしくその他の部分で開き直って、能天気になれるか、である。

 友が皆我より偉く見ゆるとき 花を買い来て妻と親しむ

天才啄木だってそうなのだから、と自分を慰めつつ。
今夜は久しぶりに、悲劇のヒロイン病だな。
 
スポンサーサイト
40の手習い・・その2
 タップは4ヶ月目、バレエは3ヶ月目に突入。
 考えてみると、生まれてこの方、運動に関わるレッスンを継続的にやったことなかったんだよなあ、一度も。ピアノとかはあったけど。部活も中高通じて、合唱部だったし。中2の担任が、「運動をやれ」ってしつこく言ってたっけなあ。本当に私のことを見抜いて、進言してくれてたんだと、今にして痛切に思う。
 ともかく生まれながらに過保護で、超運動音痴。運動ができない場面では、ただただ泣き続けてやり過ごしてきた。そういう意味では本当に人間として欠陥がある私。
 でも、40までの半生で、それを特に意識することなく順風満帆。ところが、芝居なんかに首を突っ込んじゃって、それが再燃したわけです。
 そうして、今回、初めて継続的なレッスンに通っている。最初の頃は、体力ないから、バレエの後のタップは、もうよれよれ。たおれこみそうなほど、衰弱していた。でも今日なんて、それがウソのよう。もちろん疲れてはいるけれど、快い疲れ。
 しかも、かおり先生はじめ、一緒にレッスンをている方たちが本当に優しい。こんなに鈍くさい私をいつも励ましてくれる。またがんばろうという気持ちになる。
 職場の尊敬する先輩には(彼女はダンサー)、姿勢が最近違うね、とほめられてにんまり。
 ま、そうは言っても、ピルエットはできないし、足はいつもかま足だし、タップはちょっと速くなると空中けってるだけだし、、、。まだまだ道のりは遠いです。
 でも、次回公演は12月ですから、それまでにはまだ時間がある!と日々精進です。
 しかも、バレエ、タップの3時間稽古のあとには、矢向のお風呂屋さんが待っている。筋肉痛で起き上がれなかった日々がウソのよう。ジェットジャグジーあり、電気マッサージありで、もう、最高に幸せな時間。
 そうして帰ったあとに飲むビールのおいしいこと!生きててよかった!と、思える夜です。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。