蜻蛉日記
 
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江國香織
 短編集「つめたいよるに」を読んだ。最初は、フーンという感じだったが、いつしかはまってしまった。特にぐっときたのが、「ねぎを刻む」。孤独は不意に押し寄せる、特に理由もなく。顔を洗いながら孤独に打ちひしがれてしゃくり上げて泣く、そんなときに、友達と話したり、彼を呼んだりは決してしない、彼女がすること、それは、ねぎを刻むこと。
 この人は、孤独と向き合うすべを知っている人なのだな、と思った。
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依存症
 ある人の卒論がこのテーマ。興味深く読んだ。まず人は、何かにはまる、そして、自分の状態が、快か不快しかなくなり不安定になる、これを依存と言うのだそうだ。
 なるほど。普通は快と不快の間に、普通、というのが存在する。満腹で心地よいのと、お腹がすいていらいらするのとの間には、その中間があると思う。でも、依存していると、その普通がなくなっていくのだな。酒を飲んで楽しいか、二日酔いか禁断症状で不快か、のアルコール依存。ギャンブルで勝っているときと負けるとき。恋愛でつまらないことに有頂天になるのと、ばかばかしいことに傷ついて地獄のそこなのと。ジムで汗をかくのは気持ちよく、そうでないといらいらして不快になるのと。
 かくいうわたしも、芝居中毒だな。だって、稽古で「ああ、やった、気持ちいい」と思うまで自分を追い詰められるか、忸怩たる悲惨な思いになるかのどちらかで、中間なんてはじめからないから。そんなぬるい温度じゃ、芝居やる意味ないよ、と思う。
 何事もほどほどに、と言われるが、そんなことできるわけない。そんなんだったらやってる意味ないよ、って違うかなあ。
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