蜻蛉日記
 
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表現するということ
 これはどういうことなのだろうか。知識、計算、組み立て力、センス・・いろいろと必要なのだろう。でも・・である。究極、人生かけて、なりふり構わず、深く深く突き進む、これじゃないかなあ。血だらけにならないと、本質にはたどり着けないよ。・・そう信じている。
 イッセイ尾形の、あの迫真の演技は、神の領域。おいらん、葛城の家族を賭けた情念、8日目のせみの幼女誘拐女とその子どもの人生、私の男の、やはり花の恋は、朽ち果てたんだなあと言う感慨、・・・。
 あ、もう少しで、光が見えそう。書いて表現することで救われそう。
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女ともだち
 その存在の大きさに愕然とする。
 四半世紀もの間、生活の一部のように、全く対等に、お互いをさらしあい、人生の深みを共有してきた。
 人生のどん底のとき、すがって振り回して迷惑かけ放題にして、私が死ぬんじゃないかと心配してくれた女ともだち。・・頭が下がる。感謝の気持ちで一杯。
 彼女たちとともにない日常は、今は予想できない。・・・あまりに寂しく、苦しくて。なぜなら一緒にいない生活を思い描けなかったから。
 恋愛なんかより、ずっと、自分にとって大事な、関係。・・この瞬間に、声をあげて泣き出してしまいそうだ・・・。
 恋ならば、いつかは消える、けれどももっと深い愛があるわ
恋愛中毒
 ある時期、山本文緒のこの小説にはまった。「どうかわたし、人を愛しすぎないで。愛しすぎて人を傷つけたくないから。」確かそんなフレーズだったと思う。愛しすぎて、愛を履き違えて、相手に依存して、犯罪を犯してしまう女。
 源氏物語の、六条御息所にも通じる。「より多く愛した方が、負けなのです。」と大和和紀は、「あさきゆめみし」で彼女に言わしめた。
 「恋」を、恋だけを描くということは、社会性もなく、低劣で、世にもくだらないことなのだろうか。ならばなぜ巷に、あれだけ恋愛小説がはびこるのだろうか。
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