蜻蛉日記
 
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創造の真髄
 昨日、ラニョミリのエースで4番だった、敬愛する水野宏太の、作・演出の芝居を観た。
一言で言って、可能性を感じた。
 ミズノタクジという天才演出家の手を離れて、自力で切り開こうとしている可能性を。
 人生は短い。
 やりたいと思うことを、我慢なんかしないで存分にやるべきだと思う。

 翻って私も。
 「池上」でいろんな人を見た。さまざまな思いが去来した。では自分はどういう道を歩むのか。大義名分なんかではなく、やはり、自分が本当にやりたいことを我が儘に選んで生きていくんだろうなあ。しっかり自分の気持ちと向き合おうと思う。

 でもね、芝居の世界。目もくらむような嫉妬が渦巻き、ともすれば平常心で判断できないのよ。そこで本ものをつかんだ人こそが、歴史にきざまれるのだろうなあ、ケーテのように。

 あ・・・・「嫉妬」、それは、私が今手がけている台本の根底のテーマ。
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ケーテ・コルヴィッツ
 その存在に、心揺さぶられた。宮本百合子の書いた、「ケーテ・コルヴィッツの画業」によると、
「『才能というものは一つの義務である。』才能というものが与えられてあるならば、それは自分のものであって、しかも私のものではない。」という祖父の導きに従って、古い因習の女は男に尽くして自分を殺すべき、と言う、父の言葉にそむき、絵を描き続けたそうな。
 しかも、働く人の絵を。生活に根ざした絵を。ゴーリキーや魯迅に通じる作品を。

 私は何をやりたいのだろうか。カミングアウトまでして作りたかった作品の実像は何なのか。もう一度原点に戻って、じっくり考え直したい衝動に駆られている。ものを創る作業の孤独をかみ締めながら。
 大それているが、納得のいく本でなければ初日の幕が開かなくても書き終えない井上ひさしの気持ちに共感。・・・・あくまでも自分の執筆への思いに忠実でありたいと思う。形だけ整えても、意味がないや。
地道さと誠実さ
 とかく不器用で鈍くさい私。でも、地道さと誠実さは、それだけで武器なのだと今回の公演を通してしみじみ実感した。努力は裏切らない(いや、裏切ることもあるけどね)。まぐれ、天才には、限界がある。生身の人間が演じる世界では、やはり、最も強いのは、ストイックに役に向かう姿勢。
 ぬるい温度に甘んじるのは、嫌。それは、9年間のラニョミリを通して肌身にしみた実感。芝居の入口が、ラニョミリでよかったとつくづく思う。
 そして。
 どういう芝居をやりたいのか、どういうことがしたいのか。常に自分に問いながらでないと、芝居を続けることは出来ない。苦役でやるのはやめたい。心底やりたい芝居を、ともにやりたい仲間と、真剣勝負で取り組む。それが私の理想。
 でもね、それには障害が多いのよ。だって、皆それぞれの思いはばらばらだし、そこを理解しあうのは時間と労力が必要だから。それが民主主義ということなのだろうなあ。でも、民主主義ごっこをやりたいわけじゃないんだから。
 何にしても、やはり知性が大事。知的な会話は、発展的な展開を生む〈今夜は楽しかったなあ〉。
 何ものにもとらわれず、わが道を突き進むのは、私の、本当の意味での課題。共感しあう努力はしつつも、人は皆孤独で、完全には分かり合わないのだということを常に再確認する必要があるのだ。
今宵は
 光の誕生日。
彼が大好きなタバコを、ワンカートンそっとプレゼントする。
でも、奥さんに知られないように、
何のメッセージも添えずに。

光からは何のリアクションもない。
削除しちゃったから、
私からは何も送れない。

 あたしたちって、
何だったんだろう?

 優しかった。幸せだった。
でもそれは、
ほんのつかの間。

 「より多く愛した者が負けなのです」

そう、恋愛は、勝ち負け。ゲーム。駆け引き。

こうして、あたしは、恋愛中毒に陥っていく・・。
あたしの体から、生霊が、さまよい出てしまう・・・。


 第二弾です。いかがでしょうか?
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