蜻蛉日記
 
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観劇三昧
一昨日は「楽屋」をオフオフで。今日はコクーンで「桜姫」。

「楽屋」は、客席ドまん前、50センチの至近距離で、女優のすべてを堪能した。
4人ともすばらしい。泣けた。自然に涙ぐんだ。

こういうことがやりたい、
これこそが芝居だ、と思えた。

盗みたいエッセンスがたくさんあった。

そして不遜にも、うちの演出ミズノタクジは、
その上を行く、もっと深い芝居に中身はなりつつある、と豪語。

役者としてはそれに答えなければと真剣に思う。

で、大竹しのぶ。
うーん。
ひとつは歌舞伎の基礎知識があったら、もっと楽しめたのかも、と。
達者な役者陣で、前半は楽しめた。
でも、長いよ後半。

難しすぎ。もっとしめていいよ。
唐の、「風の又三郎」も、長くてうんざりしたけれど、イメージそれに近い。

作りもあるかもしれないけれど、
女優としても、渡辺えりの方に惹かれた。

何が、どうして、をもっとつきつめよう。
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頂上はまだまだ遠い
 台詞がこなれ始め、ずうずうしくプランを持っていき始め、
面白いぐらいに自由になり始め、
イケイケ状態のまさにそのとき。

 だからこそ、原点に戻って、台詞世界の読解力と、行動の必然性を丁寧に追う、
知的で深い作業が必要なのだな。

 でないと自分の芝居にただ酔っ払った勘違い女。どんどん本質からずれていく。

 今の最大の関心は、どうやって自分をもっと演劇的に追い詰めるか。
一点、そこにのみ、ストイックにこだわる。

 深く深く思考する。リアリズムって、そういうことなのかな。



読解力
もともと大雑把というか、ずれてると言うか、
読解力が低いと自覚してはいた。
でもこのところますますそれを感じる。

言葉への繊細な注意深いこだわりが欠けている。
だから大きくずれる。

ことに最近、読解の基礎・・・的な優れた本に出会って、評論だけでなく小説だって、やっぱりある程度の読みは科学なのだな、と痛感。

実にタイムリーに、自分が作成した試験問題でそのアバウトさが出たので、
同僚に愚痴ったら、
「読みなんて、主観ありきじゃないですか?主観の集合体が客観でしょ?
第一、そんなに客観最初から押し付けたら、授業つまんないでしょ?自由に読んで、自由に語り合うから楽しいんじゃないですか?」
と言われてしまった。

そうだった、それも一理あったんだった。
だからこの仕事が面白いんだった。それはそれで大事にすることとして。

それでもあえて仕事以外のプライベートでマニュアックに芝居なんかやってるんだからさ。
万人に受ける芝居をしようとは思わない。
でも、どう考えても納得がいかないという、そういう読み方にはなりたくない。
それは演技の薄っぺらさに通じる。

羨望と嫉妬を抱き、身をよじるようにじりじりしつつ、
普遍的な読解をこなす才人のあれこれを姑息に盗もうと思う。

そして、それらを材料にして自分本来の作品論を打ち立ててしまおう。
ずうずうしく。
それをしっかり打ち立てたときにはきっと揺らがないな。

まだまだあがく。
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